"なつかしい"という感覚がどうしてこんなに心地いいのか?そんなことを考えた3冊です。
明治博多往来図絵 祝部至善(1882~1974)
明治時代の福岡、博多に生れ育った祝部至善。若い頃、絵を学んでいた彼は、70歳を過ぎてから、明治の博多の風俗画を書き始めます。
かつて、博多の往来で見られた様々な触れ売り、辻芸人やその口上に年中行事。着ているものや髪型で、その人の身分や職業が分かった時代。
絵はもちろん良いのですが、当時のことを本当に細かく、良く憶えているのに驚きます。それだけ子供の頃に見た光景は、心に残るものだったのでしょう。
いずみさん、とっておいてはどうですか
高野文子(1957~ )
昭和30年代の東京で少女期を過ごした姉妹の日記、人形やおもちゃ類。
そこに、どこか自分の記憶にもつながるものを感じた高野文子と"昭和の暮らし博物館"の人たち。
彼女たちは、それらを間近で見て、手にとったり出来るように工夫して展示します。
私よりちょっと上の世代の物ですが、見るとジワッと懐かしさがこみ上げます。古い物だけど、とても生き生きとした感じがするのです。
自分たちの使っていたものを、こんなに丁寧に長い間とっておくのって、かなり難しいことだと思います。
棒がいっぽん 高野文子(1957~ )
上と同じ、漫画家高野文子の作品集。多くの評論家から様々に解釈される高野文子
の作品。
中でも"美しき町"と"バスで四時に"は昭和の暮らしの1ページを切り取ったもの。
彼女の絵の中で、昭和をどっぷり感じ、主人公の心情にも近づけるようです。