私が”伝説の人”だと思う二人の人物。彼らは慶応3年(1867年)、同じ年に生れています。明治という、かなり乱暴に西洋近代化を推し進めた時代に彼らは育ちました。
二人とも行動、能力、その思考が日本人離れしているので、いろいろな伝説が生まれているようです。でも彼らの残したものは、なんかオモシロイ、惹かれます。
今回は、”人物”を紹介したかったので、2項目です。
外骨という人がいた 赤瀬川原平(1937~2014)
宮武外骨は、その生涯で二百点近くの新聞、雑誌、単行本を刊行しながら、発売禁止などで、罰金刑が15回、入獄が4回という反権力を貫いた人。
その出版物がオモシロイ!
芸術家で作家の赤瀬川原平がいろんな手を使って、外骨の仕事のおもしろさを紹介します。
明治から大正にかけての出版物に、こんなにおもしろい物があり、それを楽しんだ多くの読者がいたことに驚かされます。
宮武外骨の仕事に関しては、"別冊太陽 宮武外骨"(図書館で借りれます)で現物のカラー写真を見ることができます。
南方熊楠 唐澤太輔(1978~ )
和歌山に生れ、20歳で単身渡米、さらにイギリスへ。
14年後、帰国してからは故郷和歌山で粘菌の研究を続けます。
人並外れた能力で独自の研究(粘菌のほかにも、博物学、民俗学など多岐にわたります)をした人。自分の研究対象を守るために神社合祀反対運動にも奔走します。
彼の研究した粘菌は、本当に不思議。言葉で説明するのは難しいけれど、動画で見るとナンジャコリャって感じです。
熊楠の研究の幅広さ、奥深さは、とてつもないのですが、興味のある所から少しづつ読んでいるところです。(中沢新一編の南方熊楠コレクション、などもあります)
”別冊太陽 南方熊楠”では、彼の略歴や研究の概略を分かりやすく解説しています。